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畳の歴史 寸法(大きさ・サイズ)と畳の歴史 畳雑学
畳のはじまりと語源の由来。
畳のはじまりと語源の由来。 日本文化の多くは、古代中国や朝鮮半島伝来のものが多いですが、「畳」は大和民族の生活の知恵が生み出した、誇るべき住文化です。奈良時代の古事記は「瓦 畳」「皮畳」「絹畳」、さらに万葉集には「木綿畳」「畳薦」などの記述があり、これが「畳」の起源とされています。それまでの簡素な住居からの変化に伴い、床の敷物としてこのような薦(こも)や筵(むしろ)のような畳が使用されるようになりました。畳の語源は、たためるもの、重ねられるもの、敷物などが 由来で、現在のような畳床がついたものではなく、ムシロ状の敷物を折り重ねたものの総称とされていたようです。

人と畳。1300年の深い関係。
人と畳。1300年の深い関係。 畳が現在のような形状になったのは平安時代からで、権力の象徴として貴族の邸宅の所々に置かれるようになりました。室町時代になると部屋全体に畳が敷きつめられるようになり、客をもてなす座具から建物の床材として浸透していったのです。時代が江戸へ移ると、茶室の手法を採り入れた数奇屋風のものになり、後期 には、町人の住まいに引き継がれていきます。畳師・畳屋と呼ばれる人々が活躍し、畳干しする家々の光景があちこちで見られるようになりました。明治・大正・昭和そして現在、畳は常に日本人の住文化の中心を担ってきました。畳と日本人の関係。それは1300年もの歴史を経た今も深く日本の住文化に根づいているのです。


■畳の基本寸法(大きさ・サイズ)と歴史

名称と別名 基本寸法(大きさ・サイズ)と地域分布
ごはちま(えどま)
五八間(江戸間)
176×88×5.5cm
【分布】全国
さぶろくま(ちゅうきょうま)
三六間(中京間)
182×91×5.5cm
【分布】名古屋、岐阜方面、福島、山形、岩手と北陸地方の一部及び、沖縄、奄美大島など
ろくいちま(あきま)
六一間(安芸間)
185×92.5×5.5cm
【分布】広島県、山口県を中心に瀬戸内海沿岸部
ほんけんま(きょうま)
本間間(京間)
191×95.5×5.5cm
【分布】関西以西

畳の基本寸法(大きさ・サイズ)の違いと歴史的背景
畳発祥の京都を中心とした京間の畳寸法、六尺三寸を頂点に地方でひとまわり小さい規格が生まれたのは、平安時代に身分の違いにあわせて畳の大きさを決めると いう考え方や、関東を中心とする柱真から柱真までの一定の間隔「一間」の長さ(畳の丈の長さ)を基準寸法とする建物の平面構成において、一間の寸法を小さ くすることによって材料面での節約をはかったとも考えられ(江戸間:五尺八寸の登場)、度量制度の変更により一間の長さ寸法がさまざまに変わり、それが各 地にひろまり地方で違った寸法の畳が生まれた理由と考えられています。
京文化の影響を強く受けた岡山・広島・山口といった山陽地方では一間の長さが六尺一寸の「六一間」、独自の地方文化が栄えた名古屋・岐阜・福島・山形・岩手・北陸・沖縄の一部では一間の長さが六尺の「三六間」といったものも生まれました。


畳縁の歴史

畳縁の歴史は、畳の歴史とほぼ同じであるとされています。いくつかの文献には畳の発祥・生成と同時に畳の端(へり)に細幅の織布または皮を縫い付けたことが記されています。
隋書和国伝では「草を編みて薦(こも)となす。雑変を表となし、縁(ふちど)るに文皮をもってす。」と記録されており、奈良時代には、既に手近にある資材を応用するという多様化段階にあったことを示しています。
畳に厚味(畳床)がついて部屋に敷き詰められるようになった頃から畳縁は重要な位置を占めるようになりました。
1.畳は身分の高い人々に活用されてきたが、その身分差は延喜式の規定にみられるように畳の大きさ、厚さで決まっていたこと。
2.部屋に敷き詰められるようになると身分差を表すのに畳の端(へり)にみる色柄を応用するようなったこと。
この慣例は、のちに江戸時代に至るまで封建時代における身分関係を示す造作として続きましたが、これら多くの畳縁は専ら特殊織布として別注品の存在でした。一般の畳には、普通の織布を一定の幅に裁断し、それを畳縁として応用していました。
この後、明治から大正期に畳縁としての畳縁「光輝縁」が生みだされ、現在まで畳縁は和室を彩り続けています。


■畳表の歴史

【広島畳表】
備後表は天文年間(1532年ごろ)に沼隈町山南地方で野生のい草を栽培し、畳表に製織したのが始まりと言われています。その後、慶長年間(1596年ご ろ)に安芸備後の領主福島正則が幕府に備後表の献上を始めたほか、検査制度を創設し、製品の改良統一をはかりました。また、広島藩の奨励により特産品とし て栄え、備後表の名で知られました。

【熊本畳表】
肥後表は永正2年(1503年)八代地方の領主岩崎主馬守忠久が自らい草を植え、特別の保護の下に農民に栽培を奨励したのが始まりとされています。その後、 宝暦年間(1750年ごろ)に細川霊感公が栽培と製織を奨励した記録があり、「お止草」として明治維新までは大牟田、新牟田、上土、新開、下村の五つの村 に限って栽培されていました。

【福岡畳表】
福岡表は、別名筑後表とも呼ばれ文禄年間(1592年ごろ)に大正院という僧がい草の栽培法を教えたのが始まりとされています。


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